あぁ、私はいったい何を理解したというのか。
私が考えたことに、いかなる価値があるというのだろう。
議論の先に調和はあるのか。
いや、調和の失われたところに議論があるのではないだろうか。
それよりかは、雨に濡れる石や道端の枯葉の方がよっぽど偉大であるように思える。
彼らはいかに存在するかではなく、
ただひたすらに在り続けるからだ。
波立つことをやめた湖に、明瞭な夜空が浮かぶ。
私の心もそうでありたい。
知性とともに、
沈黙とともに。
私たちは全てを知っている。
.............................................................................
しかしどういう訳か、私は語らずにはいられない。
おそらく、語ることも私の本性であるようだ。
今までの私は語ることに解決があると思っていた。
しかしそれはどうも違う。
わかる人はこちらが語る前からわかっている。
わからない人はどれほど語ってもわからない。わかりたがらない人もいる。
これは言葉以前の問題である。
また、語ったことはどうしても形式になる。
形式に答えは無い。
これが言葉の限界である。
言葉の中に答えは無い。
答えは沈黙の中にある。
答えはあなたの中にある。
それをわかった上で私の文章を読んでくれたら幸いだ。