雪だるまクッキーのレシピ


寒い冬にココナッツオイルの風味が不思議とよく合う。
片栗粉を入れることで、食べた時の口溶けがよくなり、これも雪だるまとよく合います。
可愛らしい見た目だけど、ふと香るローズマリーに、凛とした冬の冷たさや繊細さを感じる、なかなか奥ゆかしいクッキー。
食べる時は冷蔵庫でよく冷やすと、生地に含まれるココナッツオイルが固まって引き締まるようで、食感に一体感が出てより美味しくなる。
やや甘さ控えめになっているので、ケーキと合わせる際は先に雪だるまクッキーを食べるのがおすすめ。
【材料】8~10体分。
薄力粉 35g
片栗粉 35g
白いてんさい糖 10g
(きび砂糖でもできます。振るっておく。)
塩 ごく僅か
ココナッツオイル 30g
水 10g
ローズマリー 適量
黒ごま 適量
⒈溶かしたココナッツオイルと水を入れたボウルに砂糖、てんさい糖、片栗粉を入れて混ぜる。
⒉薄力粉を加えて混ぜる。寒い時は生地のココナッツオイルが固まって硬くならないように適度にボウルを温める。
⒊生地を10gを8個、5gを8個に分ける。
あるいは、
8gを10個、4gを10個で作ってもいい。
多い方の生地が胴になり、少ない方が頭になる。
⒋胴と顔を作る。
胴の腕になる部分に爪楊枝で穴を開け、そこにローズマリーを突き刺す。
顔は口の形にしたローズマリーを指や爪楊枝で押してくっつける。
(口に使うローズマリーは、摘んで1、2日ほどおいて少ししなっとしたものが使いやすい。)
水をつけた爪楊枝の頭を使って黒ごまをくっつけ、丸めた生地に押しつける。
雪だるまの胴体のボタンに3粒ずつ、
顔の目に2粒ずつ。
胴体は焼く前に頭が乗る部分を軽く平らにしておく。

⒌予熱したオーブンで160℃で頭は15分、
胴は17分ほど焼く(様子を見てプラス2分焼くことをある)。
中まで火が通っていて、でも焼き色はついていない状態が望ましい。
⒍粗熱がとれたらココナッツオイルやチョコレート(分量外)などで頭と胴をくっつける。
クリスマスシーズンはオイルに緑の粉を混ぜて、くっつける時に細かく切ったクコの実やクランベリーなども添えてクリスマスカラーを演出するのも一興ですね。



木が差し出してくれる無限の豊かさ
木が差し出してくれる、無限の豊かさ。


木もれ日。

木の実を拾う、根源的な喜び。
【土に還る料理 ふりかけ】

土に還る料理とは、食材の調達や料理で土に還らないゴミを出さない料理のことである。
まあ、リターナブル瓶のキャップや畑で育て種とりするために買った種の袋くらいは大目に見ている。
さて今回はふりかけである。
〈材料〉
ゴマ 適量
ハーブや野草 適量
塩 いっぱい
〈作り方〉
①6月3日と4日、畑に金ゴマと黒ゴマをまく。

②6月12日、芽が出た。

その後梅雨で水に浸かったり(畝を作ればよかった💦)鹿に食べられたりして大変だった。
③育ってきたゴマ。

誰かが「ゴマは雑草に負けずすくすく育つ」と言ったが、ちゃんと草刈りした方がいいことがわかった。
④9月18日、満月の日に収穫。
その晩月光浴させる。
昼間は天日干し。


⑤9月19日、満月光浴した畑にあるハーブや野草を摘む。

摘んだあと、すみやかに乾燥させる。
⑥kimama clubで内モンゴル天日湖塩を買う。
「マイクロプラスチックは不検出」であり、「環境を配慮したパッケージ」である。
⑦天日干ししたゴマを選別する。
それほど多くなかったので指で選別した。


うっすらと中華料理店の豚骨ラーメンの匂いがした。
そういえば去年作ったヴィーガン豚骨ラーメンはなかなか好評だった。
⑧ゴマと塩を煎る。

ゴマクッキーのような、甘いゴマの香りがした。
⑨⑧が冷めたらすり鉢に入れてゴリゴリする。ゴリゴリした方が消化に良いと聞いた。でも酸化しやすくもなるので、できれば少量でそのつど作ると良い。

ゴマ煎餅の袋を開けた時のような、力強くて香ばしいゴマの香り!
隣の部屋にいた人も「いい匂ーい」と言った。
⑩乾燥させたハーブと野草をハサミで細かく切る。

以前ハーブティーを作る人と仕事をしたことがあるが、その人は葉を茎から外す時、葉をしごくようにして取るのではなく、手で一枚一枚採っていた。
それに倣い、今回葉物はミキサーでもすり鉢でもなく、ハサミで細かくすることにした。
⑪⑨と⑩を混ぜる。
好みで塩を足して、できあがり。

あとは食べる人の責任。
来年はお米も育てたい!
【土に還るカバン】

9月5日にカバンを作った。
やっぱり土に還るものが気持ちがいい。
マコモ100%だけど、縄にしてあることとしっかり編み込んでいることで、見ためよりも丈夫である。
これを持って長旅をする機会があったが、まだ破れる気配はない(あ、でもよく通り過ぎる人に見られた)。
藁細工をしていると、毎回「自然界のものは無料である」という誰かの言葉を思い出す。
もちろん、カバンを作るのには時間がかかる。
でも時間も本来無料のものだ。
それに製作に一日かけたとしても、しっかり作ったものならその後何日も、あるいは何年も使うことができる。
お金も時計もない、当然「時給」と言う概念もない人にとって、物作りは子供の純粋な遊びのようなものだったんじゃないかな、と思った。
そんな世界に住みたいなぁ。
【前回の続き。2023年の畜産について】
農林水産省が公開しているデータをもとに、現代畜産とそれに対して僕が思うことを語る。
これに限らず、社会問題ばかりに触れることでそこに意識を注いでしまい、かえって問題を強固なものにしてしまわないか、という懸念はある。
でもだからと言って問題を無視するのは良くない。
それは「食べる」を行う人としての責任を欠くことだ。
こんなことを言えばあれこれ言い訳をつけて反論されそうだけど、事実そうだと思う。
別に絶望はしなくていいけど、最低限、現実と向き合うのは必要だ。
さて、本題である。
豚を例に出す。
(データのリンクを貼っておくので、他の家畜については自分で調べてください。 )
https://www.maff.go.jp/j/chikusan/sinko/230726.html#monitoring
これは去年、日本で実際に行われていたことである。
去勢を行っている農場 90.6%
断尾を行っている農場 80.9%
歯切りを行っている農場 46.2%
去勢をする理由はオスの匂いがお肉に入るのを防ぐため、脂肪の付きをよくするため、男性ホルモンを減少させることで人が飼いやすい性格になるため、とされている。
断尾(尻尾の切断)や歯切りをする理由は、豚はストレスが高まると他の豚の尻尾をかじるようになるので、それを防ぐため。
ちなみに放牧など豚にストレスがかからない飼い方をしたら「尾かじり」はほとんど起こらない。
それらの施術に麻酔は使われるのか。
畜産技術協会によると「苦痛を可能な限り少なくする方法で行うとともに、必要に応じて麻酔剤や鎮痛剤の投与の下で行う」とあるように、基本的には麻酔無しの施術になる。
当然、豚が感じる痛みや恐怖は想像を絶するものがあるだろう。
ここからは僕の解説である。
前回の投稿で示したように、自分が受け入れることができない犠牲を相手に強いることが暴力であり、悪だった。
もしあなたが上記のことをする養豚業者であったり、そこの商品の消費者であったりしたら一度こう自問してほしい。
自分や我が子(豚にも子供がいる)が同じ立場に立たされた時、しかたないと受け入れることができるのか?
相手に食べられるために自分は死ななければならないことは、たとえ辛いことであっても受け入れるしかない。
でも「これ」は違いませんか、と僕は思う。
では麻酔をすればいいのかと言えば、それも違う。
僕の言う「配慮」は非暴力の内にあるものだ。
もし僕が養豚業者なら、断尾や歯切りを行うのではなく、豚が「尾かじり」をする原因となっているストレスの方を取り除くだろう。
たとえば柵の中を快適なものにしたり、放牧にしたり。
もしそんなことをする予算がないとか、土地がないとか言うのなら、それは人間の側がお肉の消費を減らすなどの我慢をするべきだろう。
あたり前のことだ。
たしかに人は自由ではあるが、動物に暴力を振るえるほどのわがままは許されていないと思う。
もう一つ、現場で働く作業員に対しての懸念もある。
たぶん屠殺はたまに手作業で行うくらいが普通なのであって、毎日ように夥しい数の家畜を工業的にバサバサ屠殺したり、先に引用したような事を日常的に行ったりする職場では絶対に健全な心は築けないと思っている。
一年ほど前に、実際に鶏の屠殺を仕事にしていた人の話を聞いた。
最初は辛かったけど、だんだん一定時間に何羽裁けるかという効率だけを考えるようになったと彼は話していた。
僕はこのような変化を「心が壊れる」と呼んでいる。
戦争で兵隊が、理不尽な教育で子供の心が無機質になっていく。
相手の痛みがわからない、心が壊れた人が温かい家庭や平和な世の中を築けるとは思えない。
また、輪廻転生を信じる人は、そのような扱いを受けた動物が人間に生まれ変わった時、はたして平和な世界を築けるかどうかまで考えてほしい。
かく言う僕にも同じような経験がある。
16〜18才まで勤めていた食品工場は日常的に大量の食品ロスを出した。
はじめは食品ロスがいやだったが、しだいに慣れていった。
でも僕が幸いだったのは、「やっぱりこんなことをしてはいけない」と気づけたこと。
気づいてからの葛藤は凄まじく、悩みまくり、苦しみまくり、ボロボロになりながらも食品ロスを減らすアイディアを考えては工場長に進言した。
結局職場が目に見えて変わることはなかったけど、少なくとも僕はあの経験を通して変わった。
そういう意味では悪(社会問題)にも人を成長させる役割があるのかもしれない。
でもだからと言ってそれが悪に加担してもいい理由にはならないことは念を押して言っておく。
菜食料理人に言えるのは、ここまでである。
ここまでが限界だ。
あとは自分なりに向き合ってほしい。
【一番大事な話】
菜食料理人を名乗っている僕がどのような規準で食べ物を選んでいるか、について書きます。
「我の規準に従えよ」なんて言うつもりはありませんが、食べて生きてる人にはきっと何かしら参考になると思います。
まず僕が大前提に据えているのは
「暴力はいけない」と言うことです。
これの根拠は、私たち全員に良心がそなわっていることにあります。
この原則はいかなる場面にも当てはまります。
では暴力とは何かと言うと良心に反する行いのことですが、ここでは
「自分が受け入れることができない犠牲を相手に強いること」
と定義しておきます。
すると非暴力とは
「自分が受け入れることができない犠牲を相手に強いないこと」
となります。
この「暴力」か「非暴力」かが決定的に重要な規準になります。
「相手に配慮をすること」、「愛情を注ぐこと」は暴力の要素が一掃された非暴力を更に高めていったところにあるものです。
さて、最初の話に戻ります。
僕が食材を選ぶ時の規準。
それは
『非暴力の領域にあるものを選ぶ』。
要はこれだけです。

注意点が2つあります。
〈注意点1〉
僕の主張は暴力の否定であって殺生の否定ではないと言うこと。
それがどのような殺生なのか、
どのような態度で臨むのか、
相手が生きてる時、どのように接していたを問題にしているのです。
「君が」同じ立場に立たされた時、不当だと思わないか、素直にその受難を受け入れることができるかが問われるべきところです。
鶏を例に出します。
『アニマルウェルフェアとは何か』と言う少し前の本で畜産技術協会の報告書が引用されていました。それによると、
一羽あたりB5サイズ前後のケージを使用している農場が92%、
過度のストレスからつつき合いの喧嘩をする可能性があるので、それを防ぐためにヒナ鳥の嘴を焼き切っている農場が83.7%。
これは一発で良心に反するとわかるので、してはならないことです。
反対に広さや清潔さ、鶏の自然に「配慮」をした放し飼いをしていて、屠殺の時も誠実な心で行うなら、それについて残酷だとかいけないことだとか言うつもりはありません。
〈注意点2〉
肉食の否定、菜食の肯定ではないと言うこと。
何度も言う通り、「自分がその犠牲は受け取れない」と言う行為を相手に強いることが問題なのであって、そこに動物か植物かの区分はありません。
たとえば僕は無農薬の食材を選ぶようにしています。
なぜならその植物にとって農薬を散布されるのは苦痛だろうと予想しているからです。
それに僕が野菜なら無農薬で育ちたい。
たぶん農薬無しでは成立しない農業は、どこかしらに解決しなければならない不自然があるものだと思います。
もちろん無農薬なら全て安心と言えるほど単純な話ではないから、その野菜とその農家さんのことをよく知ることが大切です。
なぜこんな話をするのかと言えば、ある種の菜食主義者は植物に対してなら何をしても大丈夫、と考えているからです。全員ではないけど一部、そう言ってる人もいました。
僕はそれは違うんじゃないかな、と思います。
動物に対しても、植物に対しても、物に対しても、お金より命に対する配慮を大事にしている人の商品を買うようにしたい。
〈最後に〉
偉そうなことを語ったけど、これらは当たり前のことではないでしょうか。
なるべく論理的に説明したけど、本来これらは内側に備わっているものではないでしょうか。
僕がくどくど語るまでもなく、大切に育てられた子供は動物を虐めることはないし、幸せな人は間接的にであっても決して暴力は望まない。
そう言うものだと思います。
